兄くんの結婚式によせて

 兄くんへ

 結婚、おめでとう。

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■ 傍若無人の章

 兄くんは幼いころから、兄妹喧嘩をしても決して手を出さない、優しき兄でした。一方、私は暴力にまで訴え、それでなお毎回口だけで完膚なきまでにボコされ、幾度となくパパちゃんに泣きつきました。でも、6個入りのチョコパイを家族4人で分けるというのに、兄くん1人で3個も食べたことは、今でも許していません。「甘いものが食べたければ砂糖でも舐めろ」と言いましたが、私は甘いものではなくチョコパイを食べたかったので、この件については全然納得していません。

 高校生の私が勉強している間、兄くんが突然ぬいぐるみを投げつけてくることがありました。何度か投げ返しましたが、その度投げつけられ返されるので、私はほとほと呆れてそのまま放っておいたら、投げ返せと兄くんは怒りましたね。真剣な顔つきで「俺はかまってちゃんではない、俺はかまいたいちゃんだ」と断言しました。詳しいことはよく分かりませんが、それはかまってちゃんです。

 バレンタインには、「チョコをもらえない野郎どもに配る」と言って、生チョコを作って、学校で配ってましたね。デスラブちゃんにも「妹が世話になってる」とチョコを渡すほどあったのに、なんで私にはわさび入りしかくれなかったんですか。せめてわさびを外見から悟らせないように工夫とかできなかったんですか。

 けれども、私が明け方に数学を解けずに泣いていたら、眠気眼をこすりながら、一緒に解いてくれました。超単純なケアレスミスごときで起こしてごめんね。あれは申し訳なかったと思っています。思いやりのある兄で感謝です。

 兄くんの優しさを知りつつも、反抗期に突入していた私は、君になめ腐った不遜な態度をとっていたかと思います。もうしわけ。恥ずかしいけどそういうシーズンだったので許してね。兄くんも不機嫌に起き、怪獣のような足音を響かせて階段を降り、爆音を立ててドアを閉めてたからお互い様だと思おうね。

 

■ 前代未聞の章

 数々の武勇伝を残す兄くんですが、その破天荒ぶりはやはり高校で花開いたように思います。

 生徒会選挙では、推薦人として全校生徒の前でスピーチしましたね。自販機に午後の紅茶ミルクティーも入れろ、会長立候補は入れてくれると公約してくれたから推薦すると熱く語ってました。でも、スピーチはガルマちゃんの追悼オマージュだから、ちょっと不向きだったのかもしれません。あと、高校生の9割以上が分からなかったと思います。とりあえず信任は得られてよかったね、会長。

 夏休み前から、兄くんは誰も寄り付かない中庭でレジャーシートを敷いてお弁当を食べ始め、上階の教室から黒板消しや雑巾を投げられてました。私は、何をしているのかとデスちゃんと笑いました。帰宅してから「突然中庭で人がいたらびっくりするだろうから数日前から飯を食うことにした」と聞いて、ますます訳が分かりませんでした。終業式になって、担任も巻き込んで中庭でスイカ割りをしていましたね。割れてよかったです。竹刀はちゃんと剣道部に返しましたか?下準備と根回し、企画性、後片付けまで完璧にやり遂げ、担任およびクラスメイトからの称賛を受けていました。

 結果、クラスで兄くんを阻むものはなくなり、体育祭では段ボール製ガンダムでダンスを踊り、文化祭では「何の案も出さなければガンダムの劇をやらせる」とクラスメイト脅しました。当時はよく分からなかったですが、行動力に服を着せたらこんな感じになると思います。

 兄くんの知名度が上がるほど、私は知らない人から「ボブ(兄くん公認のあだ名)の妹か」と聞かれ、否定して回りました。顔が似ているからすぐわかると言われました。心外です。

 船に乗るようになってからは、散髪はバリカンで丸坊主しかないことが気に食わず、髪を星形に残して刈って星の部分を金髪にしたり、Windowsの電源マークに残して刈って「ここ、俺のやる気スイッチ」と言ったり、モヒカンにしたり、逆に真ん中だけ刈ってお茶の水博士になったり、髪型はもはや遊び尽くしましたね。

 出港前の買い出しでは、スーパーでカートを2台カゴを4つ全てにカップ麺やお菓子・ジュースを山盛り入れて、周りの子供たちから羨望の眼差しを浴びてました。大人になればあれが許されると、きっと子供たちを勘違いさせたことでしょう。親御さんがあわれでなりません。

 兄くんはいつだって常人の考えなど及ばないところにいます。

 

■ 初志貫徹の章

 兄くんは幼少期から変わらずピーマン・ししとうをこよなく愛し、慈しんできました。けれども、保育園児の頃にはまだ「人に流される」なんてかわいらしい一面もありましたね。チューリップ組の子どもたちからピーマンは不評だと分かると、兄くんはその日のお買い物でママちゃんに「ぼくねえ、もうピーマン食べないんだよ」と得意げでした。ママちゃんは大喜びで「じゃあピーマン(高値)買わなくていいね」とガッツポーズをしたようですが、すぐさま「ビィマンガッデエエェェェェエエエッッッ」と泣きつきました。その話は、何度聞いても腹を抱えて笑い転げます。それ以降でしょうか、兄くんが「人に流される」ことなくなり、自分を貫くようになったのは。

 高校生になってからもピーマン愛はやむことを知らず、「年中ピーマンを食べたい」と言い出し、畑を持つ祖母から苗と土をもらい、ピーマンと真摯に向き合い、欠かさず水をやり、朝どれピーマンを食べ、冬までずっと世話にいそしんでいました。これまで夏休みの宿題の朝顔もプチトマトも全て枯らし、観察日記を枯草で埋めた兄くんはもういません。「植え替えさえしなければ年中ピーマンを食べられるんだ」と言い出した時、畑でも始める勢いがあったと思います。真水が貴重品でなければ、きっと船上でピーマンを育てたことでしょう。

 結婚が決まった頃から、突然ダイエットを始めましたね。ずっと船上生活で朝も夜もなく稼働するため、おおよそカロリーなど気にしていられず、悠に100kgを超えていたのに、限られた食材の中で、食事を制限し、筋トレをし、己を律し、着実に成果を上げていく兄くん。いつの間にか筋肉とプロテインの知識が豊富になって、引き締まった身体で帰ってきた兄くんを見て、度肝を抜かれました。ヤー!パワー!

 私は、兄くんの幼いころからなりたいと語っていた「漁師」を貫き通したところを、なんやかんや言いつつ、すごいなと思っています。ただ、保育園の時の「しょうらいのゆめ わんちゃん」はもういいのでしょうか。楽しみにしています。

 ゲームが上手くて夏休みの一晩でマリオを走り切りパパちゃんに叱られるところ、金遣いが豪快過ぎてコンビニのノリでヴィトンに行って会計になってからATMに走ったところ、ぐちぐちせず嫌なことも笑い話として昇華するところ、兄くんらしさがいっぱいで、尊敬しています。(それはそれとして、我らがお豆腐家の中で私に唯一厳しいことを言う兄くんのことは避けがちです。)

 

■ 天変地異の章

 そんな兄くんから婚約指輪について聞かれた時は、まさに寝耳に水。天と地が入れ替わるかと思い、逆立ちして驚きました。嘘です。普通に飛び跳ねて驚きました。なにかの間違いかと思い、誰と誰の何がどうだって?と根掘り葉掘り聞きたい気持ちを抑えて(触らぬ神になんとやら)、婚約指輪について調べました。おかげで一時期私のネット広告はブライダル関係であふれかえりました。むなしい画面ですね。

 今までお付き合いの気配を家族には露と漏らさず、茶化されまいと嫁っちとの関係をひた隠しにしてきたのかと思い、微笑ましかったです。兄くんが「まだ不確定だから親には言うな」と密命を下すものだから、私は私で苦しい4か月ちょっとを過ごしました。何度言葉が漏れそうになったことか。そのため、親以外には率先して言いふらしました。

 以降、陸に上がる度に、少しずつ少しずつ結婚の話を進め、「花嫁姿を見たい」と言って結婚式を挙げることにし、コロナによって予定変更を何度も余儀なくされ、一時は式当日までお互いの親の顔を知らぬままなのではとすら危ぶまれながら、しかし兄くんは海上で準備を進められないので嫁っちに頼りつつ、なんとか今日という素晴らしくめでたい日を迎えましたね。

 これから新たな道を歩んでいくにあたって、兄くんには幸せになってほしいし、嫁っちのことを幸せにしてほしいです。二人で末永く、仲良くお互いを幸せにできるあたたかい家庭をつくってほしいです。なんやかんや家族思いの兄くんならできると信じています。

 

 改めて、おめでとう。