本犬だけが知らない話

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 彦丸は、その顔に似合わず少々ややこしい立場の犬だ。本犬は何も気付いていない。

 

 12年前のセミが鳴き盛る頃、ブリーダーの元で生まれた。血統書付きの立派な柴犬である。ずんぐりむっくりだし黒いしで、実はたぬきとのハーフなのではと疑った。Googleフォトは優秀なので、この頃から変わり果てた現在までの全ての彦丸をアルバムにまとめてくれる。

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 叔父が娘の誕生日プレゼントとして買ったはいいが、アパート暮らしなので飼えないといって、一応預ける形で祖父母の家に置いていった。なんで買ったんだ。どの理由がどこまで本当なのか分からないが、先代のボルゾイを亡くして以降、意気消沈していた祖父は満更でもなさそうだった。

 経緯はともかく、犬を好んでいる私はひそかに沸いた。祖父母の家(祖父母の家と豆腐屋家は同一敷地で建物は別という、これまたややこしい構図をしている。互いの玄関まで時間にして30秒かからない。)に行って、膝の上で彦丸を寝かしつけたりした。身動きがとれなかったので、蚊の餌食になった。

 

 しばらくして、私は進学・就職のために実家を離れた。時々しか会わなかったが、彦丸はなかなかにふてぶてしく育ったと思う。まず撫でに行くと、嬉しそうにすり寄ってきてかゆい所を押し付けてくる。かゆみが収まると、満足そうにどこかへ行く。さながら孫の手だ。

 遊んでほしい時には、サッカーボールを渡してくる。マズルで器用に転がす。すぐに返さないと吠えられる。結構有能なキーパーで、大概のボールは止められた。(私の運動神経には触れてくれるな。)

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 帰省の際には、天気が合えば彦丸を洗った。彦丸にとってはとてつもない迷惑な話だが、それくらいしかしてやれることがなかったとも言う。祖父母には犬を洗ったりブラッシングしたりという感覚がなかったため、おそらく彦丸にそういうことをしてきたのは私だけだと思う。そういう事情なのでもちろん両家屋内の風呂場の使用は許されない。外の水道に向かうべくリードを取っただけなのだが、彦丸は散歩に行けると意気込んだ。水道の近くに繋がれたことで、ようやく危機を察知し、逃れようと必死に暴れた。例に漏れず、水を蛇蝎のごとく嫌っているのだ。足の間にがっしり挟み込んで、自らも水濡れ泡だらけになりながら、彦丸を洗っていく。聞いたことのない、情けない声を上げて抗議した。それでも祖父のしつけの賜物か生来の性格か、基本的に「人を噛む」ことはしない。ガクガクに体を震わせながら涙目で「くぅ~~、うぅ~~ん…」と消え入りそうに鳴かれると、悪いことをしている気分になる。気分だけだ、正義は私のもとにある。

 そんな風に8年を過ごした後、私は実家へ戻った。

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 戻ってすぐは無職だったので、彦丸に構う時間が多かった。きれいごとを言えば、自分の飼い犬ではないにせよ、ほったらかしにされているのを見過ごせなかったし、ストレートに言えば、なんやかんやかわいかったし、犬が好きだし、とりあえず暇だった。

 この頃、もう祖父は満足に歩けずに入退院を繰り返していたし、祖母も認知症を発症していて犬の世話が難しかった。そもそもの発端である叔父は、彦丸の異父兄弟にあたる犬をなぜか本当になぜか飼っていたが、彦丸を引き取ることはなかった。当の本犬はそんな状況は知る由もなく、祖父母のことが大好きだった。あと近所の白い女の子の犬にメロメロだった。夜な夜な脱走しては家の前に張り付いて一晩中鳴いていたと、白犬のご主人から聞いた。リードの固定方法を変えた。

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 温かい気候の間、私は飽きもせずに犬を洗った。回数が増えたことで彦丸も段々と慣れる…なんてことはなく、向こうも飽きもせずに毎回脱走を図った。彦丸が覚えたのは、私がホースを取り出すと地獄が始まるということだけだった。

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 祖父は亡くなり、祖母の認知症も進行している今、彦丸としてはなかなか満足のいく生活を送れていないことだろう。私も細々と職を得て、構ってやる時間が減った。帰ると、車の見えた瞬間に小屋を飛び出して車線に出る。出るな。退かしてから、轢かないように気をつけてじわじわと進めば、しっぽをブンブン振りながら並んで歩いてくれる。歩くな、止まってろ。

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 12歳を超えてシニアになった今でも元気いっぱいで、散歩も大好きだしご飯ももりもり食べる。ドッグランに行くたびに受付の人から驚かれる。ちなみに彦丸が愛食しているご飯は、ユニ・チャームの「愛犬元気パックン/13歳以上用」だ。みんなよろしくな。

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